継承流派
神道天心流拳法・杖術・捕手術
初め太古流と言い、元祖上野辰右衛門孝幸は播州の出身、慶長年間の人である。
辰右衛門は一傳流捕手、香取神道流ほか十一流儀の奥義を極め、家伝太古流に合して神道天心流拳法、杖術、捕手術を創成し中興の祖となった。第四世上野彦右衛門は播磨国明石城主大久保忠職に仕え、大久保家の小田原移封後も御近衆役、御刀番及び武芸指南役兼帯であった。以後小田原藩大久保家に長く伝えられた。大正、昭和に至り拳法、杖術に優れた第八世上野貴が広く当流を普及したため全国で行われるに至った。第九世義明は流儀を継承せず、上野貴の高弟神長成佳が遺命により第十世を継承。
現在は神長成佳の高弟、水石和志が流儀の道統を継承している。
浅山一傳流体術
浅山三五郎一傳斎は幼名は内蔵助、諱を重晨。丹波浅山村不動に祈願して開眼し流儀を広めた。当傳の浅山一傳流は会津藩に伝承された。第十二代田中保、第十三代大倉直行と伝えられた。大倉直行は明治末期に文京区白山御殿町に武徳館道場を開設し多くの門人で栄えた。
本體高木揚心流柔術
高木流の祖高木折右衛門重俊は、仙台藩白石城主片倉小十郎の家士で奥州の強者伊東紀伊守佐忠について、僧雲竜の伝えた折衝の秘術、槍術、棒術、刀術を学び、力あくまでも強く角力を好み、角力の取組に武術を加えて揚心流を創始した。作州津山藩森家の士、高木馬之輔重貞は十六歳で武者修行中の折右衛門にこの術を学んで極意を得、全国を武者修行。流名を高木流とした。
第十三代八木幾五郎によって明石に伝承され、藤田藤五郎、水田芳太郎、高松寿嗣、上野貴澄水、神長成佳天心と継承。
現在は神長成佳のご子息、神長久が継承している。
天津蹈鞴九鬼神流棒術
九鬼神流の起源は元弘二年三月七日北條高時の暴挙により後醍醐天皇が隠岐国に御遷行になった時、出雲武士が守護に駆集した
名和一族の大国鬼源太清定、大国鬼三太清澄、大国鬼八郎清近等を祖としている。大国一族は皆、武道の達人で棒術及び、体術に優れていた。この末裔である大国鬼平重信も武術に優れ、熊野の修験者となって修行中のある時、高木流柔術高木源之進の道場を訪ねた折、源之進病弱の為、乞われて揚心流柔術第四代を継ぎ、主として高木流を教え併伝として九鬼神流武術を教えた。
現在は神長成佳のご子息、神長久が継承している。
虎倒流骨法術
虎倒流骨法術、飛鳥術、銛磐術は、祖戸田左京一心斎から天文年間百地三太夫(初代)に伝えられ、後に伊賀、戸田家に伝承され、第十二代戸田大三郎近繁まで伊賀流忍術者の秘伝武術として秘して伝えられていた。
第十三代戸田真龍軒は神戸において神傳不動流体術の道場を開いていたが、良く祖父の伝えた虎倒流の道統を継ぎ神傳虎倒流唐手術と称して伝えていた。高松寿嗣は祖父筋にあたる真龍軒の道場に九歳にして入門。十八歳にして皆伝を受け、後に十四代を継承した。
第十五代上野貴は昭和二十八年高松寿嗣にこの傳を学び、同三十一年十一月、皆伝、同三十四年十二月、第十五代祖を許され澄水の号を譲られた。